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月に1回のヨガ哲学の講義。
今月は、バガバッドギ―ターの講義でした。

バガバッドギ―ターって何?という方は、
コチラから

 

 

 

実践することで、人生の「迷い」から自由になる。
バガバッドギーター2章40節より

 

最近は、自分が持っている
バガバッドギーター本の
意訳を比べてみることが楽しい。
すごく、簡潔な文章もありますし、

カルマ(行為)について
触れられているものもあります。
今回は、ムケーシュ先生が持っている
本の意訳も教えて頂いたので、入れてみました。

 

「ヨーガ」においては、努力が無駄になることも
望んだことと違う結果がもたらされることもない。
”行為”に対する理解と態度を変えることによって
「ヨーガ」にすることができる。
それが「カルマヨーガ(行いのヨーガ)」である。
「カルマヨーガ(行いのヨーガ)」によって、
人の心の迷い葛藤を取り除き、知識のために
心を準備することができる。
たとえ少ししかできなくても、行いの「ヨーガ」を
実践することで、人は様々な恐れから守られる。
(やさしく学ぶyoga哲学
バガヴァッドギーター 向井田みお)

 

ここでは、努力が無駄になることも
逆効果になることもない。
この行法をわずかでも実践すれば
どんな恐怖からも救われる。
(バガヴァッドギーター 熊澤教眞訳)

 

ここにおいては、企てことが消滅することがなく
退転することもない。
この【ヨーガ】の教法のごくわずかでも
大いなる恐怖(輪廻)から人を救済する。
(バガヴァッドギーター 上村勝彦)

 

この行動によって、得ることも、
不利益を被ることもない。
どんな小さな行為もやってみることによって
迷い葛藤をなくすことができる。
(ムケーシュ先生訳)

 

スローカの発音など

 

ネハビ クラマ ナショ シテ
プラッティヤ ヴァヨ ナ ヴィジャテ
スワルパ マッパピシャ ダルマッシャ
トラヤテ マハ ト バヤート

 

nehābhikramanāśo’sti pratyavāyo na vidyate |
svalpamapyasya dharmasya trāyate mahato bhayāt || 40 ||

 

नेहाभिक्रमनाशोऽस्ति प्रत्यवायो न विद्यते ।
स्वल्पमप्यस्य धर्मस्य त्रायते महतो भयात् ॥ ४० ॥

 

単語の意味

 

naiha  ネーハ:ここでは~ない
abhikramanāśas アービクラマ:努力の消滅が、努力の喪失が
pratyavāyas  プラッティヤ : 逆、正反対の行為、不快なこと
vidyate ヴィジャッテ :(それは)ある、見られる
bhayāt バヤート :恐怖から

 

行動は、2つのパターンに分けられる。

 

①行動+考え(意図)= 社会的な行為

 

②行動/考え(意図)= 精神的な行為
ヨガ的な行為(自分をコントロールするための)

 

このスローカでは、カルマ(行為・行動)について
詳しくは触れられません。
それ以前に、カルマヨーガについて
述べられていて、
この40節はカルマについて
話した後の、話となります。

 

バガバッドギーターは、
18章からなるお話ですが、


主人公であるアルジュナは、

自分の役割・責任に対し
戦場という究極的な場面に接して、

悩み、行動に移せずにいます。

 

それに対し、クリシュナは
「責任を果たしなさい。」

 

こんなことをしているよりも
(悩んで、質問してる)
行動しなさい!
そうすれば、「迷い」や
「葛藤」から救われるのだとと説きます。

 

社会的な行為は、考え(意図)が大切。

 

相手のためにする行為。
社会的活動のための行為。

 

例えば、会社の仕事などは、
目的や、ミッションなどが大切ですよね。
自分の果たすべき、責任や役割が
重要なポイントになります。

 


会社に勤めている人ならば、

利益に貢献すること、
上司の指示など、
自分の責任とともに
果すべき役割があります。

 

たとえ、自分の考えと
そぐわない部分があっても
上司の指示や、チームでの責任。
会社の利益に貢献することを行うべき。

 

社会的な行為には、必ず
相手があり、意図が大切になってきます。
求められていることを行うこと、
相手にその気がないのに
ガンガンにセールストークされたりしたら
嫌になりますよね。

 

精神的な行為は、考え(意図)を
なくしていくこと。

 

評価を気にせず、感謝されても、
されなくても、行為を行うこと。

 

それが、精神的な行為
ヨガ的な行為です。

 

考え(意図)を持たずに
行動をするって?どんな風に…
と疑問に思った方もいらっしゃると思います。
私も、最初に聞いたときは、そう思いました。

 

でも、今はこんなふうに考えると、
イメージしやすいかもしれないなぁと思っています。

 

それは
行動の結果である評価や、
リアクションに「考え」を置かないこと。

 

他人がどんなふうに、評価をして
リアクションをしてくるかなんて
実は、私たち自身では
コントロールができません。

 

受け取り側が、忙しければ
リアクションがないかもしれませんし、
プライベートや、仕事の事で
イライラしてる時もある。

 

バガバッドギータ―の中でも、
意図をもって行動することと、

意図を持たず行動することは、
どちらかがベストとは示されていないようです。

 

なぜならば、どちらに価値があり、
状況は常に変化をするから。

 

現代社会に生きる私たちは、
完全に社会的な環境から
離れることは難しいからです。

 

平等な視点を備えた理解力=sama buddhi

 

責任や、役割に沿って
何が正しいのか?
正しくないのか?

 

どんな状況下であっても
平等な視点をもって、
物事を理解しようと努める。

 

それが、「sama buddhi」
平等な視点を備えた理解力です。

 

では、どうやって
「sama buddhi」を持てば
いいのか?

 

それは、自分の考え(意図)の
元になるマインドを落ち着かせ、整えることです。

 

マインドが大切なことを理解し、
心身ともに、落ち着いた状態になれるように
ヨガの練習をすること。

 

身体と、心はつながっています。

 

それから、【視点】という意味で、
私自身が感じるのは、
自分が持っている視点は、
色眼鏡やバイアスがかかっていると
認識をすること。
受け入れること。

 

空は、青い。
草木は、緑色に輝いている。

 

それなのに、
赤いレンズや、黄色のレンズで

それらを見てしまったら、
色が変わってしまいます。

 

先入観をもって、物事をみていないか?
決めつけていないか?
チェックをして、平等な視点を意識する。
常に、自分自身のものの見方を
意識してみましょう。

 

結果ではなく、プロセスを大事にすること。

 

考え(意図)を結果に持ちすぎると、
期待や、評価が高まり、
自分の感情のコントロールが難しくなる。

 

特に、人の評価や期待に
一喜一憂していると
疲弊します。

 

ムケーシュ先生曰く、
結果や、評価に「意図」を
持ちすぎることは、
他人に自分の感情のコントローラーを

渡すような行為だと話していました。

 

結果ではなく、プロセスや、過程に
意図(考え)をむけることで
自分のマインドを強くすることができます。

 

目の前にあること、役割、責任、
やりたいこと、それら全部を
誠実に、目一杯行うために、
まずは、「一歩」を踏み出して
迷いや、葛藤を乗り越えられるようにしたいですね。

 

ナマステ!

 

バガバッドギータ―は、
こちらもどうぞ。

目の前にあることを誠実に行うこと~3章35節

欲望は、空を覆う雲のようなもの~3章40節

自分のマインドと大親友になる~6章6節

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