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ヨガ哲学の学びより

ヨガスートラ2-5:【無知】アヴィディヤーとは何か?

アニッティヤ・アシュチ・ドュッカ・アナトーマス
ニッティヤ・シュチ・スカートマ・キャーティヒ アヴィディヤー

 

 

anityā-aśuci-duḥkha-anātmasu
nitya-śuci-sukha-ātmakhyātir-avidyā ॥5॥

無知とは、永遠でないものを永遠と見て、
不純なものを純粋と見て、
痛みが従う物を現実と見る、
アトマンでないものをアトマンと見ることです。
(FLOW ARTS TTC300より)

単語:意味

anitya = transitory 変化するもの
aśuci = impure 不純物
duḥkha = pain 痛み
ātma = the true self アートマ
anātma = the false self アートマではない
nitya = eternal  永遠
aśuci = pure 純粋
sukha = good fortune 幸せ
khyāti = knowledge 知識
avidyā = ignorance 間違った認識

解説

ヨガスートラでは、

私たちの本質は変わることもなく、
苦しみや外の状況に
悩まされるものではないと言います。

私たちは自分たちの身体が永遠でないもの
(いつかは死んでしまうもの)と
知っていながら、本当に理解はしておらず、
年老いたくない!などと嘆き悲しんだりします。
⇒私もそうです!

私たちの周りの状況は一つとして、
変わらないものはありませんが、
どうしても、変化することを恐れるのです。

私たちの感情
悲しみや、好き嫌いの感情・嫉妬・喜び・怒りは
私達そのものではありません。
昨日の考えと今日の考えは違っていたり、
心の状態は常に変化をします。

感情と自分自身(本質)と同一化してしまうから、
「私は悲しい」
「私はみじめだ」と思ってしまうのであり、
正しく表現すれば、
「今、私の置かれている状況は悲しい」となるはずなのです。

変化をしない身体はありません。
子供から、青年に、大人になり、老人になっていく。
この世の中には、病気にならない身体はありませんし、
死ぬこともない身体もありません!

私たちの身体や、心、
関係や、状況も常に変化をして、
良くもなり悪くもなるということを
分かっているのに、どうしても
完全なものを求めようとすることが、
好き嫌いの感情で分けることや、
執着を生み出すのです。

このスートラでは、これらのことを
無知(間違った認識)
であると説明しています。

まとめ

無知はどのようなものであるかを知り、
自分が間違った認識をしているものを
本当の知識とヨガの練習、
瞑想で正していきましょう。

そして、常に周りの状況に影響されることなく、
物事をあるがままに見れるように
自分の内側をみつめ、浄化された身体、
心で物事に向き合えるように
ヨガの練習を続けていきましょう。

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